光触媒開発の常識を覆し「人工光合成」研究を加速―前田和彦

Science Tokyo Faces:顔 vol. 001

2025年1月17日 公開

クラリベイト社の高被引用論文著者に4年連続選出

人物写真:前田和彦教授

植物が行う光合成を人工的に実現する「人工光合成」の研究開発が加速しています。特に日本はこの分野において、1967年に本多健一氏(東京大学名誉教授)と藤嶋昭氏(東京大学特別栄誉教授、東京理科大学栄誉教授)が発見した「本多・藤嶋効果」をきっかけに、世界のフロントランナーとして走り続けてきました。このような中、常識や先入観にとらわれず効率の高い光触媒開発の研究に取り組んでいるのが、理学院 化学系 教授の前田和彦です。国際的な学術論文データベースを展開する英国クラリベイト社より、研究論文の重要性を示す指標である高被引用論文の著者として、化学分野で2018年から4年連続して選ばれ、世界中から大きな注目を集めています。

「人工光合成」とは

植物や藻類が行う「光合成」の起源は約35億年前にさかのぼると推測されています。光合成とは、太陽光のエネルギーを使って、水と二酸化炭素から酸素と糖やデンプンなどの有機物を生成する機能(化学反応)のことをいいます。

この反応を人工的に行うことができれば、地球上に無尽蔵に降り注ぐ太陽光を使って水から水素を生成したり、地球温暖化の原因の1つとなっている二酸化炭素を有用な炭化水素に変換したりすることができ、炭素循環社会の実現に貢献できます。このような光合成を人工的に行う技術を「人工光合成」といいます。

「私が大学3年生だった2001年に、人工光合成研究の第一人者である当時東京工業大学の堂免一成先生(現・信州大学特別特任教授、東京大学特別教授、東京科学大学名誉教授)の講演を聞き、『人工光合成を実現できれば、世界の環境問題を解決できる!』と胸をはずませ、この分野の研究者になる決意をしました。とはいえ、植物が35億年にわたる進化の歴史の中で獲得した素晴らしい機能を実現しようというのですから並大抵なことではありません。しかし、鳥の飛行能力を飛行機が一気に超えたように、人工光合成が、植物の光合成の機能を超えることは可能であると私は信じています」と前田は語ります。

人物写真:前田和彦教授

可視光を使って水を分解する「光触媒」の研究

そもそも人工光合成研究のきっかけとなった「本多・藤嶋効果」とはどのようなものでしょうか。これは、水の電気分解で酸素を生成する電極に酸化チタンと呼ばれる化合物を用いて紫外光を当てると、電気だけでなく紫外光のエネルギーも使って水を酸素と水素に分解できるという現象です。この発見以降、酸化チタンのように光で水を分解する「光触媒」の研究が展開されてきました。通常、水に太陽光を当てても酸素と水素に分解されることはありません。酸化チタンは水の分解という化学反応を助ける役割を果たしているのです。

植物による光合成では、太陽光を利用して水が酸素になる「酸化反応」と、二酸化炭素からさまざまな有機物を生成する「還元反応」を行っています。人工光合成の研究開発においても、太陽光による「水の酸化(酸素の生成)」と「二酸化炭素の還元(炭化水素の生成)」の両面から、これらの反応を促進するための光触媒の研究が進められています。

「本多・藤嶋効果では、酸化チタンが水を分解する光触媒としての機能を有していることが発見されたわけですが、実は酸化チタンには大きな課題がありました。それは、酸化チタンは可視光よりも波長の短い紫外光と呼ばれる波長の光しか吸収しないことです(図1)。太陽光に含まれる紫外光の割合は数%程度。仮にそのわずかな紫外光成分を全て利用できたとしても、酸化チタンによる太陽光のエネルギー変換効率は1%未満しかない計算です。人工光合成の実用化に向けては、少なくとも5~10%のエネルギー変換効率が必要とされています。それに対し、2001年の講演で堂免先生が可視光を吸収する光触媒の存在を示したことに私は深く感銘を受け、以来20年以上にわたり、可視光を使って水の分解を促進する光触媒の研究を続けてきたのです」と前田は話します。

図1:太陽光の波長ごとの強さと酸化チタンの光の吸収
酸化チタンでは、太陽光に含まれる紫外光領域(数%程度)しか使えない。太陽光を使って水を分解するには、太陽光の主成分である可視光を吸収できる物質が必要。しかし、エネルギーの小さい(波長の長い)光ほど、人工光合成に使うのが難しくなる。※赤線は太陽光の強さ(右軸)、青線は酸化チタンの光の吸収(左軸)

可視光を吸収する「複合アニオン化合物」を合成

実際、前田が研究を続けているのが、複合アニオン化合物と呼ばれる光触媒です。酸化チタンは金属元素であるチタンに酸素が結合した金属酸化物です。酸化チタンをはじめとする金属酸化物の酸素イオンの一部を別のアニオンで置き換えたものが複合アニオン化合物です。

「酸化チタンは白色の粉末です。白色は可視光を吸収しないことを表しています。それに対し、金属酸化物をアンモニアガスの中で、800℃~1,000℃の高温で蒸し焼きにすると、さまざまな色がついた酸窒化物(酸素と窒素の複合アニオン化合物)ができます(図2)。色がついているということはその色以外の可視光を吸収しているということを意味しています。酸窒化物だけでもさまざまな組成・結晶構造の化合物があり、未知の新物質も眠っています。複合アニオン化合物は酸窒化物に限定されたものではなく、酸硫化物や酸フッ化物など組成のバリエーションも広く、常識にとらわれずそれらを探索することで、幅広い波長の可視光を吸収できる光触媒ができるというわけです」

※ アニオン:負電荷を帯びたイオン、すなわち陰イオンのこと。

図2:可視光を吸収する酸窒化物光触媒 異なる金属を使った金属酸化物をアンモニアガスの中で、高温で蒸し焼きにすると、さまざまな色の酸窒化物を合成することができる。
図2の1。可視光を吸収する酸窒化物 光触媒のグラフ。 図2の2。金属酸化物をアンモニアガ スの中で、1073~1273ケルビンで蒸し焼きにすると、 酸窒化物(O2– とN3– の 複合アニオン)できる。事例写真:さまざまな色がついた酸窒化物

図2:可視光を吸収する酸窒化物光触媒
異なる金属を使った金属酸化物をアンモニアガスの中で、高温で蒸し焼きにすると、さまざまな色の酸窒化物を合成することができる。

とはいえ、実用化に向けては複合アニオン化合物にも大きな課題があります。それは合成そのものに大きなエネルギーを要するということです。しかも光触媒として作用するには、高品質である必要もあります。「そのため、実用化に向けた障壁は高いのですが、障壁は高ければ高いほど挑戦してやろうと意欲に溢れる研究室の学生たちと一緒に奮闘する日々を送っています」

常識や先入観にとらわれない研究スタイル

前田は約10年前から、二酸化炭素の還元に不可欠な光触媒の研究も進めています。「共同研究者が、有機物である窒化炭素を光触媒に使えないかと私に提案してきたことがきっかけで、有機物を使った光触媒の研究を始めました。そのころ、光触媒といえば無機物が常識で、有機物を研究している人はいませんでした。しかし、窒化炭素は可視光を吸収する上、高温にも酸や塩基にも非常に安定でしたので、試してみたところ、光触媒として機能することが分かり、大きな衝撃を受けました。また、窒化炭素を、触媒機能を持つ分子と組み合わせることで、二酸化炭素の還元にも応用できました(図3)」

図3の1。窒化炭素の光触媒としての有用性を示す。世界初の有機半導体光触媒、高い化学的・熱的安定性、 高い分子設計・構造設計自由度、安価な原料から容易に合成可能.:図3の2。窒化炭素を還元反応末端に金属錯体を 用いると CO 2 の還元的変換にも応用可能(CO 2 をHCOOH(水素 キャリア)に還元)。
図3:有機物である窒化炭素を用いた光触媒の開発と二酸化炭素の還元への応用

以来、常識や先入観にとらわれず、可能性のありそうな物質は何でも試してみようというのが、前田の研究スタイルとなり、そのスタイルがさまざまな光触媒の発見につながりました。2018年からはクラリベイト社が選出する高被引用論文著者に、化学分野で4年連続して選出されるなど国内外から注目を集めるようになりました。

人工光合成は炭素循環社会に不可欠な技術

前田は自身の強みについてこう話します。「国内外を問わず共同研究者が非常に多いことに尽きると思います。大型プロジェクトに参加させていただく機会に恵まれたことから、人的ネットワークを広げていきました。自身の研究室だけでは完結できない実験を一緒に進めたり、自分では思いつかないようなアイデアをいただいたりする中で多くの思わぬ成果を出すことができました」

今後の目標は、「とにかくチャレンジ精神旺盛な優秀な学生を一人でも多く世の中に送り出すこと。それが大学教員の使命だと考えています」といいます。

人物写真:前田和彦教授

一方、人工光合成の実用化に関してはこう話します。「人工光合成の研究は大変難しく、実用化には課題がまだまだあります。しかし、近年、国内外を含め研究者同士が協力し合うというスタイルが定着化してきていますので、相乗効果により実用化に向けた研究開発は間違いなく加速しています。もう1つの低炭素技術である太陽光発電は非常に素晴らしい技術ですが、単独で大規模に電力を貯蔵することは困難です。一方、人工光合成は使いたいときに水を分解して、炭素循環社会実現の切り札とされる水素を生成したり、化石燃料に頼ったりすることなく炭化水素などの化学燃料を作り出すことができるという点で、炭素循環社会の実現において不可欠な技術です。今後も研究と人材育成の両面から人工光合成の分野に貢献していきたいですね」

プロフィール

前田和彦(Kazuhiko Maeda)

理学院 化学系 教授

人物写真:前田和彦教授
2003年
東京理科大学 理学部 応用化学科 卒業
2005年
東京工業大学 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 修士課程 修了
2007年
東京大学 工学系研究科 化学システム工学専攻 博士後期課程 修了
2006年~
東京大学 大学院工学系研究科 日本学術振興会特別研究員(DC2)
2007年~
東京大学 大学院工学系研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
2008年~
米国ペンシルベニア州立大学化学科 日本学術振興会特別研究員(PD)
2009年~
東京大学 大学院工学系研究科 助教
2012年~
東京工業大学 大学院理工学研究科化学専攻 准教授
2016年~
東京工業大学 理学院 化学系 准教授
2022年~
東京工業大学 理学院 化学系 教授
2024年10月~
東京科学大学 理学院 化学系 教授

取材日:2024年9月10日/ 大岡山キャンパス 環境エネルギーイノベーション棟(EEI棟)7階

この研究をもっと詳しく知るには

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