2025年ノーベル経済学賞を読み解く:持続的な経済成長の前提条件―産業革命から現代へのインサイト

2025年12月19日 公開

2025年のノーベル経済学賞は、ジョエル・モキイア(Joel Mokyr)教授(米ノースウェスタン大学)、フィリップ・アギオン(Philippe Aghion)教授(仏コレージュ・ド・フランスおよびインシアード、ならびに英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)、ピーター・ホーウィット(Peter Howitt)教授(米ブラウン大学)の3名に授与されました。彼らの功績について、東京科学大学(Science Tokyo)工学院経営工学系の森田裕史(もりた・ひろし)准教授が解説します。

2025年ノーベル経済学賞の受賞理由を教えてください

森田  評価されたのは「技術革新がもたらす経済成長のメカニズムを解明した功績」です。経済学を分類すると、ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学、経済史という4つの分野に分かれています。モキイア教授は経済史の研究者です。過去の資料やそれらに基づく新たなデータを用いて、歴史上で最大の経済成長転換期であった産業革命がなぜ起きたのかを解明した業績が高く評価され受賞しました。一方、アギオン教授とホーウィット教授は経済成長論の専門家です。経済成長論は、マクロ経済学に含まれており、長期における生産量の変動を分析する研究分野ですが、技術革新がもたらす持続的な経済成長モデルを構築した業績にもとづき受賞しました。

経済学は、経済現象の中に潜む法則性を発見して、それを理論化する科学だと言えます。そのために経済学者は、(1)データを収集する、(2)データから傾向を見つけ出す(=定型化された事実)、(3)定型化された事実を再現する数式を構築する、(4)数式から政策的含意を書き出す、という4本立て構造の分析を行っていきます。今回受賞されたモキイア教授は主に(1)と(2)の分析で功績をあげ、アギオン教授やホーウィット教授は、(3)(4)の分析で功績をあげています。つまり、3人の研究は経済学の4本立て構造のすべてを網羅するような研究であり、まさに経済学の分析の王道を行く研究が受賞したと言えます。

森田裕史准教授

ちなみに、私自身もマクロ経済学を研究していますが、今回のノーベル賞受賞対象となった経済成長とは少し異なる「景気循環理論」を専門に研究しています。景気循環理論は、基本的には金融政策や財政政策の経済効果を測るための分析を行う分野です。近いうちに、景気循環理論分野でもノーベル賞が授与されると嬉しいですね。

モキイア教授の研究について教えてください

森田  モキイア教授は、経済史の研究者として「持続的経済成長が始まった前提条件」を明らかにしました。彼がまず指摘したのは、1700年以前のイギリスやスウェーデンでは、風車や印刷機といった重要な発明があっても、一人当たりGDPはほとんど増えていなかったという事実です。経済成長は歴史的に見れば当たり前ではなく、祖父母の世代と生活水準がほとんど変わらない時代が長く続いていました。それが産業革命以降、はじめて長期的な成長へと転じます。

経済学の分類(森田裕史准教授提供)

その理由を探る中で、モキイア教授が鍵としたのが、実践的知識(こうすればうまくいく、と考える根拠になる経験や知見)と 命題的知識(なぜうまくいくのか、を説明するための科学的理解)の相互作用です。たとえば、水漏れしないお風呂(バスタブ)の設計図と、水の性質に関する科学知識が組み合わさることで、より良い品質のバスタブ製品が生まれます。さらに、改良されたバスタブの設計図に、新たな科学的知識が加わり、再び改良が進む――このような2つの知識が相互にフィードバックし合うことで、技術進歩に繋がっていきます。

2つの知識のフィードバックが働くには、(a)科学と技術が同時に進化する環境、(b)高度な技能を持つ技術者、(c)新発明による社会変化を受け入れやすい制度、の3つが必要です。18世紀イギリスには学術コミュニティが整い、技術者のスキルも高く、議会制によって利害調整が可能だったことが、産業革命の背景となったとモキイア教授は示しました。

アギオン教授とホーウィット教授の研究について教えてください

森田  アギオン教授とホーウィット教授は、「創造的破壊による持続的経済成長」を説明する理論を構築しました。彼らの代表作である「質のはしごモデル」では、企業が研究開発を通じて製品の品質という「階段」を登っていく姿を描きます。より高品質な技術を開発した企業は、既存の企業を市場から追い落とし、生産の主導権を握ります。しかし、その企業もやがて、さらに高い技術を持つ競争相手に追い落とされます。この創造的破壊の連鎖こそが、技術水準と生産性を押し上げ、長期的な成長を生み出すという考え方です。

このモデルは、現実のデータと非常に整合的で、新規参入と退出が活発な実際の市場構造をうまく説明することができます。また、拡張が容易で、環境政策や独占規制など幅広い応用研究が生まれています。1992年の原著論文が約18,000件も引用されていることも、影響力の大きさを示しています。

これから私たちの社会はどうなっていくのでしょう

森田  近年、G7諸国の全要素生産性(労働や資本では説明できない、知識・技術などが生む成長を示す指標)の伸びは鈍化し、産業革命以来続いてきたような持続的成長が揺らぎ始めています。この状況をどう捉えるかについても、3人の研究は大きな示唆を与えています。

モキイア教授の視点では、AI技術の発展が命題的知識(なぜうまくいくのか)へのアクセスを飛躍的に高め、実践的知識(こうすればうまくいく)とのフィードバックを加速させ、新たな技術進歩を生み出す可能性があります。一方で、アギオン教授とホーウィット教授の理論では、市場支配力が高まりすぎると創造的破壊が起きにくくなり、成長が鈍化するリスクが指摘されます。AI競争が少数の企業による独占に向かえば、技術進歩の勢いが弱まる恐れがあります。

CHARAN RATTANASUPPHASIRI/Shutterstock.com

重要なのは、3人の研究が「成長はなぜ起こるのかというメカニズム」を示したことです。これは、「どうすれば持続可能な成長を実現できるか」という処方箋そのものではありません。だからこそ、私たちは彼らの研究から得られた知見――知識のフィードバックを促す環境づくり、創造的破壊を妨げない競争政策、そして新技術の恩恵をどう分かち合うか――を手がかりに、これからの「持続可能な成長のあり方」を自分たちで考え、選び取っていく必要があるのだといえるでしょう。


*本記事は、2025年11月26日(水)にオンライン開催されたScience Tokyoノーベル賞解説講演会の内容をもとに制作しています。

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